騎射場電停の桜島側には水産学部があります。

騎射場電停の桜島側の付近を紹介しています。

 

騎射場電停より山側に鹿児島大学の郡元キャンパスがあります。逆に電停より桜島側(海側)には、鹿児島大学の水産学部があります。他に鹿児島県立体育館や八幡小学校もあります。

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水産学部の前身は鹿児島商船学校でした。

 

水産学部の前身は「鹿児島商船学校」でした。現在、その碑が建っています。商船学校跡の碑が建っているあたりに松の木が残っていますが、これも水産学部が海の横だったという名残です。

 

商船学校跡の碑です。

 

水産学部の周りも様子もだいぶ変わりました。水産学部は、もともと「与次郎が浜」という砂浜に隣接していました。

 

与次郎が浜は帰海水浴のできる砂浜でした。

 

水産学部の前は、錦江湾が広がり、学生たちは、カッターボートに乗り海に漕ぎ出しいったものです。私も子供ながらに、その白い大きなボートに乗った学生たちのオールを漕ぐ掛け声を聞いていました。

 

また、当時の与次郎が浜は、夏になると海水浴場になり、多くの家族連れで賑わうものでした。

 

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与次郎が浜は埋立工事でがらりと変わりました。

 

その与次郎が浜は、私が高校生の頃から埋め立てが始まりました。今では、大きなホテルや陸上競技場などが立つ場所となりました。

 

残ったものは、与次郎が浜という地名ぐらいです。それだけ、当時からするとがらりと変わりました。

 

水産学部そばにあるシャレたレストラン。

 

商船学校の跡地は留学生会館になっています。

 

商船学校の跡地は、鹿児島大学に通う留学生の寮があり留学生会館となっています。その留学生を良く見るのですが、それぞれの母国の服装の人が多いのです。

 

留学生会館の辺りは民族衣装を着た学生を見かけます。

 

特に多くの女子学生は、頭にスカーフを巻いています。その服装は、民族衣装にしか見えません。留学生たちは、主に東南アジアや西南アジアから来ています。ですから学生街と言っても少しエキゾチックな雰囲気が漂っています。

 

私がこどもの頃は、あまり外国の方は、見なかったような気がしますが、最近は発展途上のアジアから多くの学生が留学しているようです。新興国の勢いが留学生の数にも表れているようです。

 

騎射場電停の桜島側、水産学部や与次郎が浜の辺りは時代の変化があります。

     

 

市電の騎射場電停の桜島側の地域は、埋立後に様子が大きく変わりました。また増え続ける留学生の民族衣装も町の雰囲気を変えたような気がします。

 

騎射場の電停です。

 

この地区にくると、そんな時代の変化を感じてしまうのです。興味のある方は、鹿児島のまち歩きをしながら訪ねてみてはいかがでしょうか。

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