鴨池電停は昔の鴨池動物園の入口でした。

鴨池電停は、昔の鴨池動物園の入口でした。

 

鴨池の土地のことを話すと、鹿児島市民の中には、昔ここに鴨池動物園があったことを思い出す人がいるかもしれませんね。鴨池電停は、当時からするとガラリと様子が変わった電停でしょう。なにせ昔は、高架式の電停でしたから。

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鴨池という地名は、島津氏の屋敷にいた鴨に由来します。

 

鴨池という地名は、薩摩藩の時代にこのあたり一帯に黒木島津氏の別邸があり、そこに鴨が沢山いたことによります。その後、大正5年に鴨池動物園がオープンしました。動物園には大きな池があり、そこには地名のごとく鴨がいました。

 

鴨池の名前の由来が書いてあります。

 

鴨池動物園は、昭和47年に平川に移転して、その跡地には、ダイエーのショピングセンターができました。鴨池電停の周辺には、当時の鴨池動物園の面影が残り、今でも買物客で賑わう場所なのです。

 

高架式から平地になった現在の鴨池の電停です。

 

鴨池動物園は日本で4番目に古い動物園でした。

 

鴨池動物園は、元々「鹿児島電気軌道」が作った動物園でした。大正元年に武之橋から谷山までの路面電車の路線が開通しました。

 

その路線の乗車客を増やすために作られたのが、鴨池動物園だったのです。当時にあった動物園では、東京・京都・大阪につぐ4番目に古い動物園だったそうです。

 

その後、鹿児島電気軌道が鹿児島市交通局になっても鴨池動物園は、引き継がれ長い間、鹿児島市民の憩いの場所となっていました。私の小学校の遠足は必ず動物園だったですね。

 

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昔の鴨池電停は動物園に直結した大きな駅舎でした。

 

そのころの鴨池電停は、だんだんと坂道を登っていき、登りつめたところに電停があるのです。当時は電停と言うより駅舎ががふさわしい建物でした。

 

その駅舎は、動物園に隣接していて、ホームから園の全景が一望できたのです。現在の鴨池電停の前には、所々に動物園の壁や動物園の入り口の名残が残っています。

 

鴨池動物園の壁と入口の跡が残っています。

 

そして、平地に戻った現在の鴨池電停を鹿児島市交通局が新しく導入した新車両が走っているのです。鴨池電停周辺の鹿児島まち案内でした。

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