交通局電停は電車基地があったからです。

交通局電停の名前は、以前電車基地があったからです。

 

元「交通局電停」には、鹿児島市営の交通局がありました。しかし平成27年に電車基地が移転した後は、電停名は「二中通り」に変わりました。ここでは、元「交通局電停」の情報として元あった電車基地を紹介しますね。

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交通局の建物は戦前からある古いものです。

 

以前の交通局電停からは平屋建ての建物と沢山の電車が並ぶ車庫が見えました。この車庫は路面電車の線路と平行してましたので、走る市電の車窓から様々な電車を見ることができました。

 

今はこの「交通局前」の電停名はありません。

 

交通局内の敷地に入りますと、真っ先に局舎の建物が見えますが、最初の印象は、「とにかく古いなあ」でしょう。いまどきこんな古い木造の建物があるのかと思うほどです。

 

交通局の建物は戦時中は兵舎だったそうです。

 

老朽化が進み、平成27年に電車施設が移転しました。

 

1928年に、すでに路面電車を運営していた鹿児島電気軌道を鹿児島市が買収して鹿児島市電気局として運営したのが始まりです。

 

電車基地として長く使われました。

 

その後、バスの運行も始めた年に鹿児島市交通局に名前を変えたのです。それが1952年です。

 

電車ファンにはたまりませんね。

 

そして、この度、局舎と電車施設の移転が決まりました。新しい施設には、見学コースがあるなど、市民に親しまれる交通局になっています。市民にも市電ファンにも楽しめる施設になっています。

 

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古さ故に惜しまれる声もありました。

 

そんなわけで、現在の古い交通局は、その古さゆえに惜しまれる声もあり、残り少ない期間に訪れる人も多かったようです。

 

また、交通局の写真展が開かれ、会場には交通局の全景を再現したジオラマが置かれました。このジオラマは、市電ファンの方が作られたそうですよ。

 

市電ファンがつくった交通局のジオラマです。

 

今まであった鹿児島交通局は、路面電車の基地として電車を見守ってきましたが、その歴史に幕をおろしました。 長い間、ご苦労様でしたと言いたいですね。

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