涙橋電停には涙を流す理由がありました。

涙橋電停には涙を流す訳がありました。

 

鹿児島市電は、郡元電停から終点の谷山電停までを谷山線といいます。
使用する系統は市電1系統です。(市電1系統は、起点鹿児島駅電停から終点谷山電停まで)その郡元電停から谷山方面に向かって次の停留所が涙橋電停です。

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涙橋電停は、一般道路より高くなっています。

 

涙橋電停は、一般の道路との段差があります。これは、涙橋電停から郡元電停まで高架式の線路だった名残です。高架式の線路は、郡元電停からさらに次の鴨池電停へと続きました。

 

涙橋電停あたりから段々と高くなりました。やがてたどり着いた鴨池電停は、目の前に広がる鴨池動物園を見下ろす程の高い位置にある停留所だったのです。

 

車道と比べると線路の位置が高いのです。

 

涙橋は悲しい場所でした。

 

ところで、涙橋電停の近くに新川という川が流れています。そこに涙橋という小さな橋がかかっています。この涙橋の由来は、薩摩藩の時代に橋の先に処刑場があったので、処刑者と家族がこの小さな橋で最後の別れで涙を流したことからきたそうです。

 

小さな涙橋がかかっています。

 

また、西南戦争の折にここが血戦の地になりました。薩摩軍と政府軍と戦い、薩摩軍は多くの戦死者を出し、大敗した場所なのです。この後、西郷隆盛が引き入る薩摩軍は、城山での最後の決戦に臨むのです。

 

涙橋決戦の碑です。

 

この涙橋のたもとに涙橋決戦の碑があります。この碑は、西南戦争で戦死した枕崎出身の90名の薩軍兵士を供養するため、昭和2年(1927)に建てられたものです。

 

今は、涙橋電停を市電が走り抜けています。

 

涙橋には薩摩にとっては、悲しい思いをする場所であったのですね。今は、その碑がひっそりと残るだけです。そんな涙橋のそばを今日も市電が走り抜けていきます。

 

市電が走り抜けていきます。

 

鹿児島まち案内で鹿児島市電谷山線にある涙橋電停を紹介しました。昔は、悲しい出来事のあった涙橋電停付近ですが、史跡もありますのでまち歩きの途中で立ち寄ってみませんか。

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