鹿児島中央駅前電停 若き薩摩の群像
鹿児島市の路面電車を紹介しています。
鹿児島の街並みを、
路面電車が走っています。
鹿児島のまち歩きをしていると、
色んな場所で、
路面電車を見かけます。
路面電車が、
街の風景に溶け込む姿は、
観光鹿児島を表わしているようです。
JR鹿児島中央駅前を走ります。
路面電車が走る姿を、
良く見かけられるのが
JR鹿児島中央駅前の線路です。
JRの東口の広場に、
「中央駅前電停」があります。
最も乗降客が多い電停です。
中央駅前電停は、
多くの利用者に合わせて、
路面電車が頻繁に発着します。
中央駅前の電停の路面電車。
駅前広場のシンボル。
中央駅前の電停のそばに、
駅前広場のシンボルがあります。
「若き薩摩の群像」のモニュメントです。
そのモニュメントは、
薩摩藩がイギリスに送った、
薩摩藩士の留学生、17名の銅像です。
留学生達は、
それぞれのポーズを取っています。
とても印象的な銅像ですよ。
「若き薩摩の群像」の銅像です。
国禁を破っての留学。
この留学の意味は、
国禁を破っての渡英だったのです。
当時は海外渡航は禁止でした。
いわば薩摩藩は、
江戸幕府の国禁を破ってまで、
留学させたのです。
なぜかというと、
薩摩藩が持つ、
危機感があったからです。
薩摩藩の英国留学生達です。
薩英戦争が理由でした。
薩摩藩は、
生麦事件を契機に、
薩英戦争を引き起こします。
薩英戦争で大敗をきした、
薩摩藩は力の差を感じて、
西洋文明の導入必要を痛感しました。
その結果の英国留学だったのです。
留学生達は帰国後は、
日本で各界のリーダーになりました。
串木野羽島から出港。
留学生達が船出をしたのは、
いちき串木野市の羽島港でした。
当時の羽島港は人里離れた漁村。
人知れず、密航するには、
羽島の港は適していました。
そんな羽島港には、
留学生達の足跡を展示する、
薩摩藩英国留学生記念館が出来ました。
薩摩藩英国留学生記念館。
若き薩摩の群像の前。
薩摩の群像の前を、
路面電車が走り抜けます。
群像と路面電車の、
ツーショットは絵になります。
思わず写真と動画を撮りました。
若き薩摩藩士達が、
貢献して発展させた現代を、
路面電車が象徴しているようです。
そんな群像を見ていると、
彼らが活躍した、
新生日本の頃に思いをはせました
今日も駅前広場の、
若き薩摩の群像の横を、
鹿児島の路面電車が走り抜けます。
鹿児島中央駅前電停
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