第1系統路線 市立病院前から甲東中前へ
今日は(平成27年10月)
旧市立病院前電停を
紹介します。
現在は甲東中前電停という
電停の名前になっています。
それは市立病院が、
平成27年5月に、
この場所から移転してしまったからです。
現在の電停名は甲東中前。
市立病院が移転した後は、
電停の名前が目の前にある、
甲東中前(こうとうちゅうまえ)
に変更。
1962年に建てられた市立病院は、
老朽化が進んだために、
たばこ産業の跡地に移転しました。
電停写真は旧市立病院前。
今では貴重な写真です。
ここでは、あえて、
市立病院前の電停で紹介しますね。
今では、市立病院前電停の写真は貴重。
市立病院は市民の医療に貢献。
市立病院は、
総合病院でしたが、
緊急医療センターもありました。
救急車が、
サイレンを鳴らして、
赤色灯を回しながら入ってきました。
その様子は、
病院の前を走る、
路面電車からもよく見えたものです。
路面電車から救急車が見えました。
また、病院には、
多くの見舞い客や、
医療関係者が出入りしていました。
その中には、
この「市立病院前」電停で、
乗り降りする方も多かったのですよ。
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四方学舎(しほうがくしゃ)
薩摩藩のころから、
郷中教育(ごじゅうきょういく)を、
行っていた藩校がありました。
この場所にも、
4つの藩校がありました。
それらが集まって、
出来た藩校が、
四方学舎(しほうがくしゃ)です。
その四方学舎の、
跡地の碑があります。
四方学舎の跡地と安藤照の誕生地の碑。
郷中教育は薩摩独特。
ちなみに郷中教育とは、
薩摩独特の教育システムで、
地域ごとにおこなわれた集団教育です。
先輩が後輩を教えて、
同輩はお互いに、
学び合っていました。
そこで教育を受けた中から、
内閣総理大臣の、
黒田清隆(ころだきよたか)
彫刻家の、
安藤照(あんどうてる)などが、
育っていきました。
西郷銅像を作った彫刻家。
安藤照は、
鹿児島にある西郷隆盛の、
銅像を作った彫刻家です。
彼はこの場所の、
一角で生まれています。
そのため誕生地の碑も建っています。
西郷隆盛像の他には、
渋谷駅前の忠犬ハチ公の、
像を作った方としても有名なのです。
市立病院電停を走っていました。
街並みは変わっていきますが。
このように市立病院が
建つ以前は、
歴史のある場所だったのです。
そして「市立病院前」の電停は、
今では「甲東中前」に、
名前を替えました。
しかし路面電車は、
以前と変わらぬ姿で、
その電停を走り抜けています。
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